失業してから2週間たつ。時間に余裕がありすぎて毎日何をしてよいかわからない。
いそがしいときは、休日のたびにやりたいことがあふれていたものだが・・・。
時間が有り余るほどあるので、ひたすら本を読む。
他の人がどのような考えをもちどのように生きているか
その英知を自分の中で消化し吸収し、自らの細胞のひとつとする。
そしてその細胞がちゃんと機能してくれるかどうかはすべての指令をだす私の脳漿次第ってところか。
「毎日暇なんだろ??今のおまえにはボクシングしかないんだから走れよ!」
会長に言われた言葉が心に刺さる。
ジムでは出端の右フックとノーモーションの左ストレートの練習に勤しむ。
冬至だ。
湯パークにいったらゆず湯だった。
安らいだね。
疲れが吹き飛んだしあったまったね。
日本人で良かった。
これぞ
冬至に湯治
ジーザスクライストの誕生日前にある大自然のイベント冬至。
そして、そんなこといってるあいだにもう、今日は天皇陛下の誕生日ではないですか・・。
12月は実はいろんなイベントがあるのですよ。クリスマスだけではないのです。
寝貯めができたらいいな。
寝られない日のために普段思いっきり貯金をしておく
そんなことができたらいいな。
実際、起きてる時間と使った命の時間は比例してないだろう。
ってことはいっぱい寝てる人はもったいないかも。
やっぱ体力と関係ありそうだね。
なんだか今日熱っぽいのでこんなとこで。
中学生がこんな手紙のやりとりをしていた。
「今はねぇ、数学の時間なんだよねぇ♪でもわけわきゃんない(はあと)
てか、させの話はもういいからE藤先生とY野先生の話をしてちょ(はあと)
やっぱY野先生みたいしぃ(はあと)写メとってきてよぉ!!!笑顔のやつ、たのんだからねぇ(^▽^)
てか、あんたおかしい!!だって普通に考えて、させよりもY野先生かE藤先生のほうがいいと思いまぅす!!!させは、フラれた彼女のマフラーをもってんだよっっっ!?超うざい。そぉゆぅの。しっかりしろよぉぉぉぉ!!!!
(中略)
まずわねぇ、もっとちゃんとしたさせの写メをとってきてねぇ(はあと)前にみたやつは横顔だったから☆しかも36才の笑顔をみたいからぁ☆(後略)」
・・・・・・・・・・・・・
おれだけなぜ呼び捨て?
なぜ36才?
ひとがどのマフラーしてようがよけいなお世話だ。
おめーらに写メは絶対撮らせん!
人間は噂や裏情報が大好きだ。
でもそれが先入観となって、目の前にいるその人自身を正しく評価できないことがある。
情報は本来利用するものであって、振り回されるものではない。
うわさ話とか情報に惑わされず、目の前にいるその人を信じなきゃだめだろう。
インターネットが発達し、2ちゃんねるのような巨大掲示板がにぎわい、情報が氾濫している。
でもこういうところで氾濫している情報とはInformationであって、決してIntelligence(知識)ではないだろう。
Informationを知識と勘違いしてないか?
実際にinformationをしっかりIntelligenceにしてる人って少ないと思う。
2ちゃんねるとかみて、自分が物知りになった気になってはいけないね。
人生で一番楽しいことはなんだってきかれた。
少し考えてから、「この世で一番おいしい食べ物ってなんだろうね」
と聞き返してみた。
つまり食べたことあるものの中からしか選べないだろってことを言いたかった。
人生で一番楽しいことというのは、自分の経験した中からしか選べないはず。
だから正確には「人生で一番楽しかったこと」になるのだが・・・
うれしいこともうれしかったことになり、楽しいことも楽しかったことになり、
悲しいことも、すぐに悲しかったことになる。
時間はどんどん流れていく。
人間とはいいかげんなもので
痛い目に遭わないと謙虚になれないね
常に妥協してしまう自分。甘えてしまう自分
痛い目にあってはじめてわかることがいっぱい
でもよくよく考えてみれば
痛い目に遭わなくても、その甘えや妥協の行き着く先はわかるはずなのだが。
今、中学生の社会で需要と供給のことを教えている。
需要曲線、供給曲線、市場価格・・・・
それを身近に体験できるのはYAHOOオークションだ。
需要と供給の他にも、落札時間、説明文など、複雑な要因が価格に影響する。
もはや中学生で携帯電話を持ってる人は珍しくなくなった。
家にパソコンがあって、ブロードバンドでインターネットをやってる人もまれではなくなった。
もちろんYAHOOオークションをやってる人もいるに違いない。
需要と供給が絡み合う市場経済を自ら体験し、理解してしまう中学生
将来が楽しみ?
2003年は自分にとっては最悪な年だ。
2002が最高の年だっただけに、傷が深い。
しかし、思い返してみれば、すべて自業自得な感じもしなくもない。
昔の彼女に言われた、「人の悪口を言う人は、同じように悪口を言われてるものだよ」
って言葉を思い出した。
それを思うと、道ばたにゴミを投げ捨てることもできなくなった、今日この頃だ。
マナーモードにして、堅い机に携帯を置いてるやつ
それでメールが来ると
ガガガッガガガガ!!
それってほんとに「マナー」モードっていえますか?
バイブってポッケとかに入れて、自分は気づくけど周りは気づかないから「マナー」なんじゃないですか?
ガガガガガ
着メロより不快です。
マナーな「つもり」じゃだめだろう。
NHKスペシャルをみた。
アメリカのプロバスケットリーグNBAの中国人選手、姚明選手の話だ。姚明選手は低迷していた所属チームを躍進させたと同時に、ビジネスの面でも莫大な利益をチーム、リーグ全体にもたらした。試合会場には多くの中国人がつめかけ、観客数は飛躍的に伸び、放映権料は中国のテレビ局が争い、高騰した。
グローバリズムが最も劇的に進んだのがスポーツビジネスの世界である。多チャンネル化で巨大なテレビマネーを得たサッカー、バスケット、野球などの各球団は破格の年棒を用意して世界中からスーパースターを根こそぎさらってきた。狙いは海外市場の開拓。外国から選手を引き抜けば、その国での放映権料が手に入り、スポンサー企業の知名度が高まる。もはや国内市場が飽和状態を迎え、プロスポーツでは一挙にグローバル戦略を拡大させている。(NHK)
人々の夢を食べて大きくなる獏のような世界。
夢が金になる。そして破れたものは・・・・・・
相手の気持ちを考えるということは相手の気持ちを分析するということ。
その分析結果が相手の気持ちに近くなったと思っていても
実際にはかなり違っていて、結局独りよがりな考えになってしまうことが多いものだ。
家に携帯電話を置いたままで学校に行ってしまった。
最初は気になってたけど、だんだん慣れてきて、今ではなんだかさわやかな気分。
着信やメールを気にしなくてもいいし、他の人のバイブの音に集中力を妨げられることもない。
なんか、世間のしがらみから解き放たれたような気分だ。
家に帰ってみると、着信が1件、どうでもいいメールが3通ほど入っていた。
なんだか勝利した気分。
よく考えたら、一昔前はこれが普通だったはず。
いつでもだれとでも連絡を取れると思ったら大間違いだ。
一期一会を大切に。
私の愛車、Ferrari50が故障中で、最近自転車が大活躍だ。
しかしこの自転車、ずっと乗っていなかったせいか、ブレーキがきかない。
いつもブレーキ無しでぶっ飛ばす下り坂も、怖くて怖くてとばすことができない。
ブレーキは、ただ止まるという機能だけでなく、いつでもこの自転車を止めることができるという心の余裕もたらす機能も兼ね備えているのに気づいた今日この頃。
人生ももしかしたらそんなモノ?
止めてくれる存在があるからぶっ飛ばせるのかな。
それとも、臆病にも初めから無意識のうちにブレーキをかけていたりして。
珍しく朝早く目がさめる。
たまには思いっきり贅沢をしてみようと、何もしない日に決めた。
携帯も切って、勉強もしない。
一日中ボーっする。
テレビも見ないし新聞も読まない。
時間をドブに捨てているようなものだといわれる。
でもたまにはこうじゃないと、僕の頭脳はストライキをおこすのだ。
あしたから、またしっかり働いてもらいますのでよろしくお願いします。
詩ばっかり書いて、普通の文章をもっと書かないとバランスが取れない。
でも、詩を作った頭から文書を書く頭に切り替えるのってかなり難しいことに気づいた。
けどがんばって書いてみる。何事もバランスが大事だ。
最近、またお笑いブームだ。
お笑いブームというよりお笑い芸人ブームかもしれない。
好きな芸人がタレント化してきて結構複雑だ。
そこで芸人見てガハガハ笑ってるあなた。
ほんとに面白くてわらってますか?
視聴者や客の見る目が確かじゃないと、芸人のためにもなりませんよ。
漫画や小説同様、名作はブームが終わっても生き残るものだから。
週末は実家で過ごすことが多い
しかし、一人暮らしが長いせいか、実家には私の居場所はない
弟の部屋にある普段は荷物置き場になっていると思われるベッドを片付け、僕の空間をつくる。
まさに弟の部屋に居候。
実家では風呂とトイレが唯一、一人でゆっくりできる空間である
トイレやお風呂に本を持ち込む。
トイレ一回はおよそ30分。お風呂は一時間を超える。
慣れてしまえば、トイレの芳香剤の臭いも、大好きな入浴剤の香りも同じようなものだ。
しかし、その至福の一時も「いつまではいってんのかね!」の母親一言で終わる。
プライバシーという言葉を知らない家族達
それもまた心地よいと感じてしまうのは一人暮らしに疲れてしまったせいか。
日頃から言葉を粗末に扱ってる人は
考えも粗末に違いない
大切な言葉は、大切なときまで大切にとっておくべき
むやみに消費してたらやがては言葉の飢餓に陥るのではないか
言葉は創りあげることもできるし、消費もする
何事もバランスが大切
ペーパーレス時代が来ると昔言われた。
デジカメデータはCDに焼けばいいし、書籍だって電子ブックになると。
一方で、写真画質のプリンタの売り上げは相変わらず好調。
写メールデータでさえも、コンビニやヨドバシで気軽にプリントアウトすることができる。
パソコンの本だって上質紙に印刷されてるし、卒業論文だってわざわざ紙にプリントアウトして提出した。
2000年問題の時、データが消えるかもしれないと、預金データをプリントアウトしていた銀行もあった。
電子データは信用に足るものではないのか、それとも人々が使いこなせていないだけなのか。
いずれにしても2000年前の技術はまだ現役バリバリである。
世界のトップアスリートたちが競い、陸上世界一を決める世界陸上選手権。
深夜、日本選手の活躍についつい見入ってしまって連日寝不足になってしまう方もおられるであろう。
その中でも昨夜は見所満載、男子マラソン〜男子4×100mリレーまで日本選手の活躍に釘付けになってしまった。。
リレーでは決勝進出を決め、また、男子マラソンでは油谷選手が5位入賞、団体では金メダルをとるなど、私はブラウン管の前で熱狂していた。
1998年ワールドカップの決勝が行われたサンドニスタジアムに日の丸が掲揚され君が代が流された。
感動的な光景。その中で私がもっとも感動したのはフランスの観客が、日国旗掲揚国歌吹奏の際、全員脱帽して起立して選手の健闘を称えてくれていたことた。
果たして、日本人の中に他国の国歌斉唱の際に脱帽し、起立をする人は何人いるののだろうか。
そもそも、自国の国旗、国家に対しても敬意を払えない人々が他国の国旗国歌に対して敬意を払えるはずがないのだけれども。
去年のワールドカップの時も同じような光景が見られた。
しかし、そのときはまだよかった。他国の国旗国歌の時は起立脱帽してはいなかったと思うが、少なくとも観客の多くが日の丸を掲げ君が代を歌っていた。
全員自分が「日本人」ということを自覚していた。
一方で、その光景を「熱狂的なナショナリズムに危うさを感じる」と報じた新聞もあった。
卒業式に国歌を歌わず国旗を掲揚しない公立高校もあった。今はどうなってるかわからないけれども。
日の丸を国旗、君が代を国家と定める法律がだいぶ前にできた。
笑ってしまう。だれがなんといおうと日の丸は日本の国旗で君が代は国歌である。まさか「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」を国歌とはだれも思わないだろうに。
法律で制定されないと国旗国歌を認められないとはいかがなものか。
実は「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」と団体が存在する。
「日本の国旗・国歌の法制化は、日本「国民」としての帰属意識や特権意識をつくりあげるという、国家の象徴的暴力による、排除と選別と抑圧のプロセスの強化に他なりません。」
とある。
自分が日本人であるという意識を持ってはいけないらしい。
おそらくこういう考えは日本国内(北は北方領土西は尖閣諸島、竹島、南は沖ノ鳥島あたり)までしか通用しないものはないだろうか。
海外に行けば(旅行でもなんでも)いやでも「あなたはどこの国に所属しているか」というのが問題になる。
「私は日本に住んでいるが、地球市民だ。国際人だ。」なんて言葉が、なんかすばらしい言葉に思えるのはおそらく日本国内だけであろう。
外国の人から見れば「この人おかしいんじゃない?」と思われて終了。
なんかの本で、帰国子女ほど「自分は日本人だ」というアイデンティティーが強いということをよんだことがある。
自分がどこどこに属しているという意識は、人間の自然な感情なのではないだろうか。
「私は国際人!地球市民!!」などという考えが通じるのは実は自分が所属している枠内だけであることを自覚した方がよい。
はっきり言おう。
「あなたは日本人です。」
原爆という大量破壊兵器で市民が虐殺され、戦争に負け、それでさらに誇りまで捨ててしまうなんて悲しすぎだろ。
捨てた上で残っているのもはなに?
「地球市民」という日本でしか通じない自己満足か?
世界陸上2003パリ大会 http://www.tbs.co.jp/sports/seriku2003/index-j.html
日の丸・君が代に対抗するネットワーク http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/