2003年08月31日

世界陸上で思うこと

世界のトップアスリートたちが競い、陸上世界一を決める世界陸上選手権。
深夜、日本選手の活躍についつい見入ってしまって連日寝不足になってしまう方もおられるであろう。

その中でも昨夜は見所満載、男子マラソン〜男子4×100mリレーまで日本選手の活躍に釘付けになってしまった。。
リレーでは決勝進出を決め、また、男子マラソンでは油谷選手が5位入賞、団体では金メダルをとるなど、私はブラウン管の前で熱狂していた。

1998年ワールドカップの決勝が行われたサンドニスタジアムに日の丸が掲揚され君が代が流された。
感動的な光景。その中で私がもっとも感動したのはフランスの観客が、日国旗掲揚国歌吹奏の際、全員脱帽して起立して選手の健闘を称えてくれていたことた。
果たして、日本人の中に他国の国歌斉唱の際に脱帽し、起立をする人は何人いるののだろうか。
そもそも、自国の国旗、国家に対しても敬意を払えない人々が他国の国旗国歌に対して敬意を払えるはずがないのだけれども。

去年のワールドカップの時も同じような光景が見られた。
しかし、そのときはまだよかった。他国の国旗国歌の時は起立脱帽してはいなかったと思うが、少なくとも観客の多くが日の丸を掲げ君が代を歌っていた。
全員自分が「日本人」ということを自覚していた。
一方で、その光景を「熱狂的なナショナリズムに危うさを感じる」と報じた新聞もあった。
卒業式に国歌を歌わず国旗を掲揚しない公立高校もあった。今はどうなってるかわからないけれども。

日の丸を国旗、君が代を国家と定める法律がだいぶ前にできた。
笑ってしまう。だれがなんといおうと日の丸は日本の国旗で君が代は国歌である。まさか「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」を国歌とはだれも思わないだろうに。
法律で制定されないと国旗国歌を認められないとはいかがなものか。

実は「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」と団体が存在する。
「日本の国旗・国歌の法制化は、日本「国民」としての帰属意識や特権意識をつくりあげるという、国家の象徴的暴力による、排除と選別と抑圧のプロセスの強化に他なりません。」
とある。
自分が日本人であるという意識を持ってはいけないらしい。

おそらくこういう考えは日本国内(北は北方領土西は尖閣諸島、竹島、南は沖ノ鳥島あたり)までしか通用しないものはないだろうか。
海外に行けば(旅行でもなんでも)いやでも「あなたはどこの国に所属しているか」というのが問題になる。
「私は日本に住んでいるが、地球市民だ。国際人だ。」なんて言葉が、なんかすばらしい言葉に思えるのはおそらく日本国内だけであろう。
外国の人から見れば「この人おかしいんじゃない?」と思われて終了。
なんかの本で、帰国子女ほど「自分は日本人だ」というアイデンティティーが強いということをよんだことがある。

自分がどこどこに属しているという意識は、人間の自然な感情なのではないだろうか。
「私は国際人!地球市民!!」などという考えが通じるのは実は自分が所属している枠内だけであることを自覚した方がよい。

はっきり言おう。
「あなたは日本人です。」


原爆という大量破壊兵器で市民が虐殺され、戦争に負け、それでさらに誇りまで捨ててしまうなんて悲しすぎだろ。
捨てた上で残っているのもはなに?
「地球市民」という日本でしか通じない自己満足か?


世界陸上2003パリ大会 http://www.tbs.co.jp/sports/seriku2003/index-j.html
日の丸・君が代に対抗するネットワーク http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/

投稿者 Okihiro : 22:21 | コメント (67)